ローカル線がなくなっちゃう

対にローカル線の廃止案が

公団のスタート

公団発足一ヶ月後の1964年4月、運輸大臣から鉄道公団に今後建設を進めるべき新線の基本計面が指示され、工事線が47線、調査線は19線となった。9月には調査線中15線が工事線に格上げされ、調交線も2線追加と、たちまちローカル新線建設ラッシュとなった。国鉄が工事をおおむね終えていた根岸線・美幸線(すでに廃止)・白雛線(同)など6線は同年中に開業している。鉄道公団の新線建設鷲も、やはり国鉄にかぶさった。本格的に公団が動き出した1964年度の鉄道公団予算105億円(うち建設費84億円)に対して政府出資は10億円にすぎず、国鉄負担が62億円で、あとは公団が借入金で補填している。

国鉄の赤字

行政符理庁が国鉄負担が重すぎると国に注意した結果、政府出資額は年々増え、1967年(昭42)に政府の出資額が88億円となってようやく国鉄の70億円を上まわった。1964年度から単年度赤字、1966年度から累積赤字に転じた国鉄財政は年々悪化し、国鉄諮問委員会は1968年(昭43)。「赤字83線」と呼ばれたローカル線2,590.6kmの廃止を求める意見書をまとめた。国鉄全線2万800km(新幹線を除く)のうち7,400kmのローカル線は、鉄道よりも自動車輸送にふさわしい分野となっており、なかでも83線2,590.6km(線区によって一部区間を含む)は鉄道としての使命を終えたという趣旨である。